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舞台美術:藤沢レオ×演出:弦巻啓太 対談


だいたい10周年記念公演として上演される今回の「果実」は、舞台美術に苫小牧在住の美術家・藤沢レオさんを迎えます。弦巻との出会いからこれまでの活動について、「果実」のテーマでもある「生と死」について。


−−まずは二人の出会いから教えて下さい。

弦巻啓太 もともとは僕が苫小牧の方にワークショップ講師で呼んでいただいて、そこで苫小牧で活動されている樽前atry+の皆さんと知り合ったのが最初の出会いですね。

藤沢レオ そうですね。一昨年くらいですか。

弦巻 そうですね、2年くらい前。

藤沢 千葉(和魂/*1)からは「すごい人いますよ、すげえ面白いっすよ」、みたいな感じで聞いていて。

弦巻 笑。

藤沢 「今度、呼んでいいですか」っていうので、「ぜひお呼びしましょう」と。ワークショップに参加させてもらって、その時、セリフを読むのか自分から発せられる言葉を言うのかで全然違うっていうようなことをやっていて、これは面白いなって思いました。

弦巻 千葉さんから「苫小牧でワークショップやるんだったらちょっとひねくれたくらいな方がいいです」ってすごく言われて、初心者なんだけど、初心者でも楽しめるってことにこだわりすぎないで、ちょっと突っ込んだことやってくれた方がいいですっておっしゃってくれて。本当にいいのかな、と思いながら、菊池寛の「父帰る」の台本を持って行きました。そこで感想を聞いたり、話をしていて、また苫小牧で何かしたいなってなって思っていたのが去年の「四月になれば彼女は彼は」の苫小牧公演に繋がっていくんですけど。本当に樽前arty+には多岐にわたっていろんな人がいる。

藤沢 同じジャンルがいないんですよね。

弦巻 それがすごいですよね、いいと思います。苫小牧で才能豊かな人たちと知り合えたので、今回も、と。

藤沢 ちょっとみんなネジくれてるんですよ、苫小牧のメンバーは。斜に社会を見るっていうか(笑)。

弦巻 レオさん自身は最初から苫小牧で活動しようと思って始めたんですか。

藤沢 そうでもなくて、苫小牧は地元なので、一人で始める時に、一時戻ろうって感じだったんですね。一時戻って体制を立て直して、どっかに打って出ようっていう風に思ってたんで、こんなに長く住むとは実は思ってなかったんですよ。

弦巻 へー。

藤沢 樽前arty+が始まってからも、継続性というよりは一回一回何を考えていくかっていう方法を取っていたんですけど、5年くらい前にちょっと腰を据えてやらないといけないな、と思いまして。それからですね、それまではアーティストの寄り合いだったんですけど、アーティストがいなくなって、異分野の人たち、例えば建築だったり教育だったり経営だったり、いろんな人たちが集まってきて、体制も変わっていった感じですかね。腰を据えてからの方が外の仕事が増えるんですよね、不思議なもので。

弦巻 なんかわかる気がする。

 

藤沢レオホームページ

http://leofujisawa.com/

藤沢 今回の「果実」の脚本は、こういう時期に来るもんなんだなって思ったくらい、僕のプロフィールに関係する出来事とリンクしてるんです。小さい時から美術が好きで、美術の仕事をしたいって小さい頃からあったんですけど、のうのうと大学まで行って(笑)。

弦巻 のうのうと(笑)。

藤沢 本当にのうのうとなんですよ、のうのうと生きてきたんです。大学の時もデザイナーを目指してたので、3年生くらいまで就職活動してたんですよね。4年になる頃に、ニセコに鉄で作品を作る面白い工房あるみたいだよ、って連れられて行ったんです。そこで「こんな世界があるんだ!」って思ってその日のうちに弟子入りを志願しました。ニセコのRAM工房の沢田正文さんっていう方なんですけど、鉄で彫刻や家具を作っていて、だから僕の仕事はそこでしか覚えてないんです。訪ねたその日に僕は「これで生きていきたいんで弟子にしてください」って言ったら、なんかちょっと勘違いして受け取ったらしくて、それは後日知ったんですけど、「ああいいよ」って言ってくれたんです、その場で。で、「あ、いいんですか?」って(笑)。

弦巻 のうのうと生きてきた藤沢さんに、いっぺんに波が。

藤沢 それで布団だけ持って工房に転がり込んだんです。その頃ちょうど、もともと札幌で活動していた師匠もニセコに大きな倉庫を買ってアトリエにするっていう時期だったので、まずそのアトリエ作りから始まったんですね。

−−ちょうどいい人手がきたと。

藤沢 そうそう、だからちょうどいいなと思ったらしいんですよ。

弦巻 すごい、タイミングですね。

藤沢 大学はニセコから通いながらめでたく卒業して、それから1年か1年半くらい経った時に、師匠に「あれ、お前ってこの道でやっていくの?」って言われて(笑)。「最初に言いましたよね」「ああそうだったんだね、勘違いしてた」って。

弦巻 勘違いしてもらえてよかったですね。

藤沢 そこに3年くらいいて、独立するのに苫小牧に戻ったんですよね。24、5で自分で工房を設立して、工芸の仕事をしてたんです。家具を作ったり店舗の看板を作ったり、地元なのでなんとなく口コミで仕事が増えてきて、それまで実家の車庫でやってたんですが、仕事になっちゃったなってことで、今の樽前に牛舎を借りて。よし自分の城を持ったぞ、ここからやっていかなきゃなっていう時に、母親が死んだんですよね、くも膜下で。ほぼ即死だったんです。でも前の日までは会話をしてるわけですよ。二人とも前の日は何かを食べて腹を壊してて、「いやあ腹痛いね母さん」「あんた薬飲んだのかい」みたいな話をしていて。その時は僕は結婚して近所に住んでいたんですけど、翌朝、父親から母さん倒れたって電話がきて、病院に行ったらみんな深刻な顔しちゃってて。ただごとじゃねえなって思ったら、まさにこの(「果実」の杏のような)状態ですよ。機械で動いてて、いつ機械を止めるかだけなんです、選択肢は。見込みがないってことを先生から聞いて、じゃあってことでスイッチを切るわけですよ。植物の状態っていうのはたった一晩だったんですけど、それで僕はがらっと人生が変わっちゃったんですよね。それまではのうのうと生きているから、自分が生きてるなんて考えてないんですよ。当然自分が死ぬなんてことも考えてないし、自分が生きてるなんてことも考えない。でもそれをきっかけに、人って死ぬんだなってことを強烈に味わうんですね。同時に、僕って生きてるんだってことも初めて知るんです。それだけのうのうと生きてた(笑)。

弦巻 それってまだ、二十代ですか?

藤沢 28ですね。それが僕が工芸から彫刻に転向するきっかけでもあって、なにかそれを表現しなければっていう使命感もあって。何を吐き出していったらいいかわからなくて、そこから実際やれるまではまた3〜4年かかるんですけどね。でも明らかにそこから人生が変わるっていうか世界が変わっちゃって。母が死んだことによってアーティストになるわけですよね。だからすごく矛盾なんですよね、僕がアートをやっているっていうのは。母が死ななければのうのうと生き続けているからアーティストにはなっていない、今みたいにいろんなことに気づけていない状態が続いていたと思う。でも母が生きてた方が当然よかったわけで、でも死なないと今の僕はないわけで。常にそういう矛盾を抱えながらずっと活動してるんですよね。生きてると同じ量の死を抱えてるって感覚が常にある。1、生きてたら、1、死を抱えてる、そういう命になっちゃったんですよね。

弦巻 「果実」は27歳の時に書いた作品なんです。僕は同じようなことを違う角度から経験してて。僕は人の死に子どもの頃きちんと対面できなかったんですよね。変な話、生きてるってのは知ってるけど会えない人ってたくさんいるじゃないですか。そういうことかって変な風に解釈されて、未だにずっとそれがあって、自分は人の死をきちんと受け止められてないっていう気がどうしてもするから、逆に言うと生きてることにも重みが生まれてこない。だから、同じだけ死を抱えて生きてるみたいなのがなんとなくわかります。僕の中では生と死で何が違うのって思っているところがあって、でも世の中的にはくっきり分けるみたいなところがあって。そうじゃないんじゃないかって思いが、一時期、死ぬっていう事実を自分に直面させるような作品ばかりやらせてたんじゃないかなって思ってます。「果実」の中に僕はいないんだけど、そういうものに対峙しているいろんな人たちを結果的に描いてたんだなって思います。

藤沢 それぞれに死がリアルになったり存在がリアルになったりしている。ある時期、これが俺だ、みたいな彫刻作品を作る時に、僕は死をつくる作家だと宣言して作ったんですよね。死を遠ざけるよりは、抱えてた方がもうちょっと生存が豊かになるんじゃないかなっていう考え方なんですよね。僕がのうのうと生きていかなくて済むようになったように(笑)、死が間近にあった方がもっと生きられるという考えに変わった。それからせっせと死をつくるようになったんですけど。「死」は最初にそういう宣言しちゃったんだけど、それがどういう影響を僕に与えたかっていうのを最近具体的に語れるようになってきて、自分の中で文章化していた時期なんですよね。「果実」に出てくる言葉が結構僕の作品のタイトルになっていて、まさにこの糸の作品は、「不在の存在」ってタイトルなんですよ。最初に死を語ったのはこの作品なんですけど。あたかもベッドのような。この時は棺とゆりかごを作ってるんですよ。この時にこういう長ったらしいタイトル(「死ヌコトヲ知ル 生キルコトヲ知ル 生マレルコトヲ知ル 知ルコトヲ知ル」)をつけて、これが僕の作家性だぞ、みたいな宣言だったんですよね。
 母の死っていうのは誰にでも起こり得るのでまだ言えたんですけど、僕を美術に寄せていった人達がみんな亡くなっちゃってて。それこそ高校の時に「お前は美術に行け」って言ってくれた先生がいて、その人の奥さんも美術家で、「レオさんは美術に行った方がいいわよ」って言ってた人が自殺しちゃった。その時は、僕は本当に可愛がってもらってたので、みんながお前は葬式にいくな、絶対見ちゃダメだ、って言って結局死に目に会えなかったんですよね。それが大学の、ちょうどニセコに行くくらいの時だったんですけど、その時は死を体験できなかった。その後、ニセコに行って、そこの奥さんもすごく大切にしてくれて、僕がニセコを出る時に、「10年後楽しみにしてるわ」って言ってくれたその後すぐ病死して、そしたら今度母が亡くなって。この作品の前の年に、旭ヶ丘のギャラリー門馬ってところで僕は初の個展をするんですけど。それは前オーナーの門馬よ宇子さんっていう、札幌では非常に有名な美術家であり若手を応援してくれた人が僕の最初の工芸作品を見た時に「あなたは絶対美術をやった方がいい、つきましては来年の何月何日から何日まで会場を与えるからら個展をしなさい」。

弦巻 スパルタ。

藤沢 「彫刻の個展よ、工芸じゃないわよ」と。超スパルタで。俺まだ作ったことなかったのに「あなたはやんなきゃいけない」って言われてやったんですよ。それが割と成功して、翌年別のギャラリーから声がかかって、よし、これは門馬よ宇子さんに見せよう、僕はこれをアーティストのコンセプトとして門馬さんに宣言するために、って作ったんですよね。そしたら搬入の日に死んじゃって。老衰だったのでもう危ないっていうのは伺ってたんですけど。こんなに死に見舞われるかね、って。しかも、僕は自分で美術を選んでないのに、あなた達が言ったのにみんな死んじゃったみたいなことになって。最終日に門馬さんの娘さんが見にきてくれたんですよね。母が大事にDM貼ってたから見にきましたって言って。そしたら、「あ、これに乗って逝きました」みたいなこと言うんですよ(涙)。

弦巻 それも責任重大ですね。

藤沢 その時に、ダイナミズムみたいなものを感じたんですよ。あ、僕は引き継いだんだなみたいな。

弦巻 台本に出てくるセリフだったり言葉にレオさんの作品に通じるものがあるって言っていただけるのはすごく嬉しい偶然です。レオさんの作品を見て「果実」の舞台美術をお願いしたいなって思ったのは、例えば糸の彫刻って、糸をたらすことで何もないところに意味を帯びてくるっていうか。「果実」のさらに3年前に、奥さんが死んじゃってただただ悲しいって言ってるだけの作品(*2)を一本書いたんですけど、その時も人の死ってどう受容するものなんだろうとか、自分にとってどうするべきで、どういう風なものなんだろうって思って。僕はわりと後ろ向きな性格で、後ろ向きなことにためらいがないというか恥じらいがないっていうか、恥ずかしげもなく後ろ向きなんですけど、いい歳をして。人が死んじゃって自分の中に欠落が生まれた時に、その欠落を維持することが死んでしまったり去ってしまった人のためになるんじゃないかって思うタイプで。その欠落を埋めてしまったらその人の存在は代えがきくってことをむしろ証明するようなことになるんじゃないか、自分の中にその人っていう穴が空いたんだったらその穴はその人の存在証明なんじゃないかっていう感覚があって。自分の中の欠落を欠落として抱えていくこと、それは耐えられない人もいると思うんだけど、いい悪いじゃなくて、そういうのも一つのあり方だっていうようなことを、レオさんはわかってくれるんじゃないかって、作品を見て感じたんですよね。

藤沢 嬉しいですね。

弦巻 だから今回の「果実」でも、今までとは違うクリアな立ち上げ方をしてくれるんじゃないかなって。ある意味、情緒的になりやすい作品だけど、レオさんの美術だったら、クリアな、結晶のような状態に、どろどろ溶けてしまわない状態に舞台をできるんじゃないかと思って、是非お願いしたいって思ったんですよね。

−−先ほど打ち合わせもありましたが、今のところの構想を教えてください。

藤沢 そうですね。今、言ったように結晶のようなことはできるかなと思ってますね、本読んでも。きっと素材は多くないほうがいいだろうし、素材が素材でないほうが良さそうな感じもしています。素材がそれぞれの意味を持たないというか、意味を持たないまま寄り添ってるみたいなイメージですかね。ベッドが非常に象徴的だと思うんですよね。ベッドってだけで僕はさっきの作品(「死ヌコトヲ知ル 生キルコトヲ知ル 生マレルコトヲ知ル 知ルコトヲ知ル」)を思い浮かべたんですけど。単純に僕の作品作るだけでもいいかな、とか。

弦巻 作品が舞台上にあると、いやあそう思います。

藤沢 考え方としてはそれくらい入り込めるなって思ってて。最初台本もらったときも、さわりだけ読んであと明日読もうって思ったんですけど結局最後まで読んじゃって、「やべえのきちゃったな」って(笑)。今ようやく40代になったんですけど、死ぬとかを20代から始めちゃったので、そのときはやっぱり信用されないんですよ、全然。バカなこと言ってんじゃねえぞ、とか、不遜だとかね。

弦巻 お前に何がわかる、みたいな。

 

藤沢 そうそう。こっちは肌感でわかったことを表現してるので、そうじゃねえぞって思ってるけど、それを言い返す言葉も持ってないわけですよ。それでようやくなんか、40代になって、今までやってたことが最近評価されるわけですよね。特に、気仙沼に呼ばれたり福島に呼ばれたり、そういうリアルなところに呼ばれると、ちゃんと伝わるんだなっていうのが最近わかってきて。

弦巻 そのときそのとき、ちゃんと真摯にというか、自分の中で向き合ってれば。

藤沢 語らずとも作品で捉えてくれる機会が増えてきていって、ああやってきてよかったなって思ったときにこの本が来たので、そういうもんなんだねって。

弦巻 わー、嬉しい巡り合わせですね。


                                                                                   2016年6月6日収録


*1  千葉和魂/樽前arty+設立時からのメンバー。札幌で行われた弦巻の戯曲講座などを受講したのをきっかけに親交を深め、昨年、「四月になれば彼女は彼は」苫小牧公演が実現。上演にあたってのほとんどすべてを担っていただいた。

*2 奥さんが死んじゃってただただ悲しいって言ってるだけの作品/Theater Unit Hysteric End時代の作品「センチメンタル」(2000年初演)。

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